第50回防府読売マラソン詳細

今朝の体重は前日と変わらず69.5㎏でした。
今日の練習はPM7時前より雨で走れず・・5㎞ジョグ予定でした。
昨日の防府読売マラソンの詳細を書きます。
先ずはLap表・・

1 2 3 4 5 5kmLap スプリット
1~5km 5:15 4:15 4:20 4:20 4:18 22:28
~10km 4:19 4:20 4:23 4:21 4:21 21:43 44:11
~15km 4:25 4:21 4:30 4:28 4:35 22:19 1′06:30
~20km 4:32 4:30 4:32 4:33 4:38 22:44 1′29:14
~25km 4:48 4:44 4:43 4:46 4:54 23:55 1′53:09
~30km 5:04 4:57 5:20 5:00 5:15 25:35 2′18:44
~35km 5:32 5:24 5:14 5:51 5:44 27:45 2′46:29
~40km 6:16 5:27 6:30 6:12 6:39 31:05 3′17:30
~Fin 5:22 5:10 1:00 11:32 3′29:06

今回が50回目の記念大会になる防府読売マラソン防府市ゆかりのオリンピックランナー濱村・貞永両氏の後進を育てるために創設されました。
防府市カネボウの拠点があり、元マラソン日本記録保持者の高岡寿成氏の活動拠点であったのもあり、オリンピック選考レースのびわ湖・福岡国際・東京に次ぐ別府大分毎日マラソンと同格の”若手の登竜門”と言われる大会でした。
それまでは500人前後の陸連登録者のみの大会でしたが、2008年の39回大会より制限時間が3時間から4時間に緩和され、格式の高さとフラットなコースがガチランナーに人気の大会になりました。
緩和直後は自己申告で、定員無しで先着エントリーでしたが、陸上競技場スタートのキャパを越える出走者となり、記録証の提出やカテゴリーによっては厳しいクリック合戦がエントリーに必要になりました。
緩和から4回連続で出走しておりましたが、コースに相性が悪いのか・・記録も芳しくなく、人気の大型市民マラソン大会に当選するようになって足が遠のいていました。
今季は長男の受験と引っ越しなどで年明けに勝負レースが入れられないので、8年ぶり5回目の防府読売マラソンをエントリー、自身50回目のフルマラソン防府読売マラソンの50回記念大会に当たりました。ちなみに8年前から毎年福岡国際とセットで出走の川内優輝選手は100回目のフルマラソンだったそうです。
防府市ソルトアリーナは当地より76㎞で、高速道路を使えば1時間チョイで着きます。前泊無しで、しかも早起きも無しで参加できる唯一のありがたい大会なのです。
ただし、駐車場の心配もあるので・・当日受付開始の9時に着くように、7時起床で8時出発としました。予定より10分遅れで出発し、10分遅れで到着しましたが、会場の裏の近い所に駐車出来ました。
受付を済ませて、ナンバーカードをランシャツの前後に取り付ける。仮装は禁止なので・・前にはよく使っていた青白のランシャツに青のランパンで出走予定。近くのコンビニでコーヒーを飲み、更衣室のレジャーシート上で選手名簿をチェック。前のランニングスクール+QブログのS丈さんの名前を見つけてナンバーをチェック。
11時にはアップグラウンドでアップジョグ。アップグラウンドのトイレが空いていたので入ると・・洋式でウオッシュレットで助かりました。
今回からソルトアリーナ横のロードスタートになり、並び順はナンバー順100人区切りのブロックなので慌てて並ぶ必要はありませんが、20分前には並びました。気温は14℃で風もなく、雲一つない快晴で、アームウォーマーも手袋も無しでスタートを待ちました。
12時2分いざスタート、号砲が鳴っても全く動かず、スタートラインまで52秒かかりました。市民マラソンの大会だとAか悪くてもBブロックスタートで、整列開始時に最前列に並ぶので・・スタートロスがこんなにあるのはビックリです。そういえば・・以前の防府読売マラソンの時も1㎞地点まで5分かかっていました。
今回はスタート地点でラップをとり、スタート地点から1㎞地点までが4:23で、結局5分15秒・・競技場スタートからロードスタートに変えた効果があまり感じられず、コースにコーンがいくつも立ってたり倒れていたりで、かえって危険だったようです。
スタートから3㎞地点まで直線、左に曲がって中関港に沿って8㎞でソルトアリーナに戻ってきます。4㎞地点の第一給水所では一般用のスポーツドリンクの紙コップが間に合わないのか・・ありませんでした。最初なので混雑もあって、給水はあきらめました。
8㎞地点の第二給水所ではスポーツドリンクを取りましたが、コップをつぶして吸い上げるも多くをこぼして・・沢山は摂れませんでした。
ソルトアリーナ前ではKさんの応援が、8㎞過ぎには動好会メンバー3人の応援がありました。
8㎞過ぎから左に曲がって市街地を回って、再び中関港を通ってソルトアリーナに戻って17㎞ですが、12㎞までは好調にキロ4:20前後ではしっておりましたが、ややキツさをかんじておりました。12㎞過ぎに動悸の予兆でペースを落としてキロ4:30チョイで19㎞まで頑張る。
20㎞手前の三田尻橋のアップダウンでペースダウンするとかなり苦しくなってキロ4:45前後になって防府駅周辺の市街地を走る。
中間点は1'34:28ですが、後半には期待できなさそうな感じ、23㎞あたりでIさん・N村さん達アミノのランニングクラブの応援がありましたが、24㎞を過ぎると苦しくて歩きたくなりました。
キロ5分近くにペースダウンしながらも植松跨線橋のアップダウンを越えて、27㎞の給水所で立ち止まって給水。
しっかりと2杯給水して再スタートしたので28㎞までは5:20かかりました。
そこから29㎞過ぎに折り返しての30㎞までは頑張りましたが、30㎞地点で2'18:44・・以降をキロ5分で頑張れば3時間20分切りだが、頑張れそうにはない。歩きを交えながらキロ6分弱での3時間半切りぐらいを目標にする。
35㎞まではそれでもキロ5分半前後でしたが、33㎞の植松跨線橋の登りは歩きでキロ6分近くになり、防府駅周辺の市街地では歩いたり走ったりの醜態をさらしてキロ6分越えを続けてしまいました。
34㎞と39㎞の給水所では立ち止まって3杯飲んで、呼吸も整えて走り出し、40㎞手前の三田尻大橋のアップダウンを越えて、40㎞が3'17:30・・キロ6分では3時間半には間に合わない。
40㎞からはノンストップでフィニッシュまで走り続け、キロ5:22から5:10に戻してフィニッシュの陸上競技場に入ると3時間27分を過ぎておりましたが、トラックほぼ1周の400mが2分のキロ5分ペースなら3時間29分でのフィニッシュと計算。
長く感じるトラックを回ってフィニッシュの時計を見ると28分50秒で、ラストまで頑張るも3時間29分6秒のフィニッシュでした。
前回の横浜マラソンの3時間28分28秒は超えられませんでしたが、スタートロス52秒を考えると・・辛うじて前回を超えました。

総括すると、久しぶりに仮装もなく走りに集中しましたが、仮装でなくランパンだった故の内股のスレの不安が出てしまいました。
今年の2月・3月の高知・鳥取ラソン並みの前半のペースではありましたが、全く余力が無かったのは・・調整不足もあったのですが、かなりの脱水が起きていたのではないかと思われます。14℃快晴の気候に対して、前半の給水が少なすぎのようです。後半は多すぎるぐらいに給水し、フィニッシュ後に500mlペットボトルの給水し、ふるまいのうどんを汁まで飲み干し、帰宅途中の車中でもポカリを飲んだのに、帰宅後までトイレに行くこともありませんでした。
無理せずに走って、最低限の3時間半切りが出来たことは良かったです。
来年は第一回の松坂マラソンにエントリーの予定なので・・また当分は防府読売マラソンにはエントリーしません。
しかし、エントリーの資格であるサブ4は出来るだけ長く維持して、いつでも出られる状態では居たいです。