下関海響マラソン2022詳細

今朝の体重69.7㎏でした。
昨日の下関海響マラソンの詳細を書きます。
先ずはLap表・・

1 2 3 4 5 5kmLap スプリット
1~5km 8:46 5:35 5:42 5:22 5:20 30:45
~10km 5:16 5:20 5:22 5:20 5:20 26:38 57:23
~15km 5:17 5:18 5:20 5:24 5:20 26:40 1′24:03
~20km 5:17 5:20 5:20 5:25 5:22 26:44 1′44:52
~25km 5:52 5:21 5:22 5:34 5:21 27:28 2′18:15
~30km 5:40 5:40 5:16 5:25 6:17 28:19 2′46:34
~35km 5:50 5:36 5:49 6:04 6:19 29:38 3′16:12
~40km 6:16 6:19 5:33 6:14 5:47 30:09 3′46:21
~Fin 5:50 6:10 0:58 12:58 3′59:19

2008年に始まって、2020年は開催中止になって、今回が14回目の大会になる下関海響マラソン東京マラソン(2007年)からのマラソンブームを受けて作られた大規模市民マラソン大会としては老舗の大会です。今回で10回目の出走となりました。
海峡ゆめタワー前のロードスタートで前半はR9を東進しフラットな瀬戸内海沿いを約8㎞を往復し、後半は彦島を通過して響灘沿いにアップダウンの激しい人工島までの約13㎞の往復するという周回コースです。
昨年は新型コロナの為に定員が5000人抽選でのエントリーでしたが、今年は以前のように定員1万人の先着エントリーでした。
今年は妻の体調が悪いので電車で行くつもりでしたが、柳井の動好会のK田さんのエスティマで皆さんと乗り合いで下関入りして、帰りは旧Qブログ仲間との打ち上げの後に次女の車で帰宅することにしました。
前日は13時半に出発し、15時半過ぎに到着。初フルマラソンの2人の為にコースを下見して17時半にホテルにチェックイン。
19時ぐらいから動好会のK田さん・M岡さん・H中さんと近くの居酒屋で食事。楽しくお話ししながら生ビール大ジョッキ3杯を飲んでしまいました。
21時過ぎにホテルに戻って、大浴場と露天風呂で寛いで、22時ぐらいには一旦寝付くも24時に目が覚めてなかなか寝付けず。
5時起床、トイレに部屋でのカップ力うどんとおにぎり2個の朝食、7時40分に動好会メンバーと、7時50分には旧Qブログ仲間と集合の予定で7時半にチェックアウトして会場近くのホテルから歩いて向かう。
記録証を提出忘れでSブロックでなくなった今回は更衣室に基地(レジャーシート上)は作らず、ホテルのフロントに荷物を預けて直接集合場所に向かう。
7時半に伴走予定のH中さんのDブロックに入れないかブロック入り口の役員に確認するも・・「Aブロック入り口から入ってください。」とのこと。
動好会メンバーと写真を撮り、旧Qブログ仲間と気合い入れをした後はAブロックに入る。
入って、アップジョグとしてAブロック最後部スタンバイ。8時15分に関門が閉鎖されてから後ろに下がって、B・Cブロックを通り抜けてDブロックのH中さんとK柳さんと合流。
スタートまで10分待って8時半にスタート、号砲が鳴ってしばらくしてから歩きだして、もうしばらくしてジョグスタート。
スタートラインまで2分19秒かかり、その後も前がつかえてジョグ状態。3㎞を過ぎてから予定のキロ5:20で走れるようになる。今回は初フルマラソンでサブ4を目指すH中さんのペーサーを務める。50歳の節目にフルマラソンを走ってみたいというM岡さんや他の動好会メンバーに引っ張られて海響マラソンにエントリーしたH中さんは、いつもホームコースの公園で走っておられて、よく一緒に走っている方です。
「海響マラソンを走るならペーサーをやるよ~。」と約束をしておりましたが、レース前の確認で・・「歩かずにサブ4を目指したい。」とのこと。5年前にはサブ4のペーサーを自信をもって完璧に出来ましたが、コロナ禍で大会中止が相次いでモチベーションが下がっているうえに猛暑・残暑に妻の体調不良もあって完全に練習不足。
ギリギリの17日前にキロ5分の30㎞ペース走が出来て、なんとかサブ4ペーサーが出来そうには仕上げたが・・全く自信がもてませんでした。
「初フルマラソンで30㎞走は1回しかしていない、わりとスピード派のH中さんで、海響マラソンの後半のアップダウンを考えると前半キロ5:20で貯金して後半のペースダウンに備える作戦。」と伝える。
東に向かってスタートして正面に快晴の日差しを受けて、3㎞過ぎまでの密集では無理な追い越しはせずにスムースな追い越しで無駄な疲れを防ぎ、5㎞手前の第一給水所は混雑を避けてスルー。第二以降ので給水所でしっかり給水し、5分20秒前後で完璧に前半20㎞までを走る。
19㎞過ぎに関彦橋を越えて彦島に入り、20㎞手前の彦島トンネル入り口から彦島大橋の最高点50mまでの登りで20~21㎞が5分52秒と異様なペースダウン・・トンネルでガーミンでペースが分からずに最初の登りでペースがつかめなかったのか?
その後の最高点までの登りはキロ5分20秒にペースを戻すがキツイ。その後の下りで落ち着いて、23㎞過ぎに先行されていた4時間ペーサーの集団に追いつくが、ペースが遅く感じられる。コースが狭くて追い抜けず、2つ目のトンネルを抜けたところで反対車線にややはみ出しながらも追い抜いてペースを戻す。
25㎞以降は北バイパスから2㎞近い登りをキロ5分40秒のペースで耐え、人工島までの下りでペースを戻すも、人工島の長い直線に苦しむ。
29㎞の折り返しでH中さんが救護所のエアサロンパスの噴射をリクエスト、その後の給水もしっかりとって29~30㎞は6分17秒。
しかし、30㎞通過が2時間46分34秒なので「残りがキロ6分でもサブ4達成できる。登りは歩かずになんとかキロ6分で粘れば、平坦と下りでキロ6分以下で走れるのでなんとかなる。」とH中さんに伝える。
人工島を出ての登りはきつかったがなんとかキロ6分以内でカバーし、下りで頑張るも足が終わった感じで・・給水所で止まってしっかりと2杯給水、H中はストレッチ。
25㎞地点と折り返しての33㎞地点(同地点)で次女の応援を受けるも、帰りは全く余裕がなくなっていました。
33㎞を過ぎてトンネルに向かう緩い登りで苦しくなって「ごめん、一人で行って・・。」って言いたくなりましたが、最後の難関の彦島大橋最高点んを前に投げ出すのは無責任で情けないのでペースはキロ6分に落ちているが頑張り続ける。
最高点の手前のエイドでも止まって2杯、H中さんもストレッチ。
「最後の難関は歩いてもOKよ。」って伝えるも、「歩きたくない、走り続けたい。」とのこと。私もなんとかキツさを越えて歩かずに登り続けるも、後ろのH中に気を使う余裕が無い。
登りをキロ6:16でカバーするも、下りはエイドで2杯&救護所のエアサロンパスを2人とも受けて1㎞が6分19秒。
最難関を越えるも残り5㎞地点で3時間29分30秒と・・キロ6分でギリギリに追い込まれる。グロスサブ4はダメでもネットサブ4はなんとかなると開き直って彦島トンネルへの下りで貯金を作るも38㎞・40㎞過ぎのエイドで止まって2杯給水で貯金を使う。40㎞を過ぎて平坦なラストでなんとか貯金を作り、関釜フェリー前の41㎞地点を過ぎて応援の多い通りに出る。
その時点で残り700mでH中のペースは十分にキロ6分を切っており、グロスサブ4は間違いない状態で、私のポンコツペーサーも最低限の責任を果たしたところで耐えきれずに歩いてしまいました。
応援の多い通りを歩くと「パンダ頑張れ。」の応援が沢山ありましたが、責任を果たした私は歩くのは恥ずかしくありませんでした。歩いて、落ち着いてから再スタートして3時間59分19秒でフィニッシュし、自身もグロスサブ4は果たしました.
ゴール後にH中さんに追いつき、救護所のテントの中でM岡さんが横たわっていました。脱水で意識朦朧となってゴール後に倒れたとのことでした。回復までしばらくかかるとのことで、私とH中さんはそれぞれのホテルに戻って着替える。
会場のゆめ広場に戻ってしばらくするとM岡さんが歩いて来て、動好会メンバーも集まる。M岡さんは寒がったり動けなくなり、皆で着替えを取りに行って手伝ったり、無料配布のヨーグルトやふく鍋を食べさせたりしましたが、回復せず。
救護所で車いすを借りて車まで運びました。
その時点でPM2時半、3時からの旧Qブログメンバーとの打ち上げに向かいました。
イッセーさん、ユンユンさん、Hさん、O崎さん、O村さんと楽しく2時間を過ごしました。
4年ぶりの打ち上げ参加で、ラン仲間と今話題のファーストペンギンでの山口弁の話や九州の方言の話など他愛もない話で盛り上がって楽しかったです。(^^)