宮城復興マラソン詳細

今朝の体重は67.2㎏でした。
今日の練習はPM7:20より疲労抜き5kmジョグ予定。
気温17℃でウインドブレーカーを着て走る。昨日の疲労と筋肉痛でキロ6分オーバーで入り、徐々に上げて30:13でした
昨日の宮城復興マラソンのレポートを書きます。
7月からの暑さで走り込みは不足し、練習も仕上がらずに臨みました。
パンフには「コース全域は東日本大震災の浸水エリア。大会事務局では復興工事の進歩状況に合わせ、コースを選定しています。
毎年参加するたびにコースが変わり復興の歩みを感じられる景色も魅力のひとつです。
コースの高低差は少なく、ほぼ平坦でまっすぐな道」とあり、 地震津波の被災地を走る高低差がほとんどない郊外の直線を走るコースで、”Back To The Hometown”で帰れなくなった集落のあった場所にエイドを設けて、そこに旧住民の方にボランティアで戻ってもらうというのがあって・・寂しい被災道路や復興のかさ上げ道路の中に熱心に応援をいただけました。

Lap表・・

1 2 3 4 5 5kmLap スプリット
1~5km 4:20 4:29 4:26 4:23 4:27 22:05
~10km 4:25 4:25 4:30 4:36 4:31 22:27 44:32
~15km 4:26 4:30 4:38 4:38 4:34 22:46 1′07:18
~20km 4:47 4:37 4:32 4:33 4:42 23:11 1′30:29
~25km 4:39 4:44 4:53 4:41 4:42 23:39 1′54:08
~30km 5:02 4:57 4:55 4:58 5:00 24:52 2′19:00
~35km 5:02 5:09 6:10 5:34 5:24 27:19 2′46:19
~40km 5:36 5:39 5:45 5:47 5:45 28:32 3′14:51
~Fin 5:41 5:40 1:05 12:26 3′27:17

第2回宮城復興マラソンは4ウエーブ制のスタートで、第一ウエーブは9時35分スタートでした。私は最前列に並びたいのと、帰りの飛行機までの余裕を持つために当然の第一ウエーブでした。(事前送付で受け付けの無い運営で、当日に東北新幹線で参加する人の中には速いランナーでも第4ウエーブを希望する方いらしたようですが、コースが狭い箇所が多くて抜くのは大変そうでした。)
事前送付の案内の中にはAM5:47に仙台駅発の仙台空港アクセス線に乗って、仙台空港からはシャトルバスで、混雑時は歩きで会場入りすることを推奨していました。(昨年の第1回大会ではシャトルバスの乗降場所が遠い・渋滞などが問題になっていたから?)
AM5時前に起床し、急いでトイレを済まして、前夜に用意していたウエアーを着て、5時20分にはチェックアウト。仙台駅まで15分歩き、仙台空港アクセス線に乗ってから朝食のおにぎりとパン。
6時10分には仙台空港に着いて、それほどの混雑でもないので空港のランナー用シャワー施設をチェック。
大会当日はロッカーの貸出無く、30分以内で500円とのこと。
朝食を食べて便意を催したので・・会場の仮設トイレではなく、空港のウオッシュレットでゆったりと出し切れました。
後発の空港アクセス線が着く前にシャトルバス乗り場に行って、並ばずにシャトルバスに乗って会場入り。

7時には会場入りし、スタート地点やAブロック整列場所や荷物預け場所などを確認。ブロック整列まで1時間半、スタートまでは2時間半・・かなり早く着きましたが、この時期ですので凍えるということはなく、早めにオーバーウエアーを脱いで走れる格好になって荷物を預けました。
アームウオーマーにネックウォーマーとビニール袋を被ると・・北風が若干冷たいが、それほど寒くないので8時にはスタート地点に向かう。ほかの大会のようにブロックが明示されていないので・・ボランティアさんや総合案内所や大会役員とおぼしき人にAブロックの整列位置を確認するもよくわからない。とりあえずスタート地点にいれば間違いないと思って並んでいると・・はるか後方にAのプラカードを掲げ持った役員さんが現れ、急ぎプラカの傍まで下がる。結局はプラカを持った役員さんはスタート地点まで前に進み・・私も傍を離れずに前進し、最前列中央を確保。
ブロック整列開始の8時35分になってもブロック前方を閉鎖しないし、ウエーブ制の為かブロック締め切り時間も無い・・緩い感じの整列でした。
和太鼓や社会人応援団のパフォーマンスがあって、スタートセレモニーがあって、招待選手の野口卓也さんと野尻あずささん、ゲストの猫ひろしさんが最前列に入りました。この大会はスマホを持って走ることを推奨していましたので、猫さんとツーショット写真を撮ることが出来ました。

いざ号砲、飛行機に間に合うように4時間目標の私はあせらずにスタート。1㎞は4分20秒とかなり遅いし、1km過ぎには3時間ペースランナーに早速追い抜かれる。ペースは気にはしていませんでしたが、思っていたほど気温が高くなかったので、出来れば3時間15分を切って海響マラソンのSブロック権を確保したいとちょっと本気で走りましたが大失速しました。
仕上がってないのでスタートからキロ4:20と遅く、じりじりとペースが落ちてしまい・・中間点はなんとか3時間12分ペースだが30㎞地点では3時間15分ペースをオーバーして、巻き返せる脚もモチベーションも無い。
32㎞地点エイドの”浜焼きホタテ”を立ち止まって食べてキロ6:10で気持ちが完全に切れました。
あとは飛行機の時間に間に合えばとキロ5:30オーバーでフィニッシュを目指し3時間27分17秒でした。

コースとしては、先ずはかさ上げ道路を南下・・堤防のような高くて左右が低い直線道路を走る。エイドや応援の人がかたまっており、賑やかな所と淋しい所のギャップが大きかったです。8km過ぎの亘理大橋は道幅が狭く”追い抜き禁止”の看板が出ていました(折り返しての15㎞過ぎと対面通行で、ボリュームゾーンの通過では追い抜きは無理そうでした。)亘理のエイドではらこ飯の一口カップがありましたが、イクラなどの魚卵が苦手なので泣く泣くパス。
再度の亘理大橋のアップダウンを越えて、17km過ぎて海岸線の松林に囲まれた細い道は応援はないが走りに集中できて・・2kmばかりキロ4:32にペースを戻す。海岸の直線道路は25kmまで続き、スタート会場を通過し、少し内陸に入り仙台空港そばを通過し30km地点から閖上地区への周回路に入り37kmで30km地点に戻って、そこから会場までの5kmは対面通行で後続のランナーとすれ違いながらフィニッシュまで走る。

今回もパンダと子パンダにたくさんの応援がいただけ、多くの方に笑顔になってもらえました。「あ~パンダさんだ・・。」からの「背中にもパンダ(笑・笑)カワイイ~(^^)」のコンボはこちらも笑顔になれます。東北ならではの「めんこいの~」という言葉もいただけました。応援に応える余力が無いときも子パンダが手を振ってくれますし、出来るだけ手を振り、ハイタッチに応えました。
3時間15分の野望はついえましたが、被災地の皆さんに笑顔になってもらうというミッションは達成できたと・・今回の遠征は大成功だったと思います。